Menu
 
猿投伝説

猿投伝説

昔、景行天皇けいこうてんのうとその双子の息子である
大碓皇子おおうすのみこと小碓皇子おうすのみことがいた。
一家は飼っていた猿を
たいそう可愛がっていた。

景行天皇が猿を連れて伊勢を訪れた際、
伊勢湾の対岸にある鷲取山にて大碓皇子が
毒蛇に噛まれて亡くなったという
報せを聞いた。
景行天皇はとても悲しみ、
心穏やかではいられなかった。
そんな天皇のおきもちを汲みとった
猿もまた、
いてもたってもいられず、
自ら伊勢湾に飛び込み、対岸まで
泳ぎきった。

鷲取山についた猿は大碓皇子を弔った。
地元の村人から
「この山には毒蛇の主がいる」
と聞いた猿は、
知恵と得意の武術で
その毒蛇を退治した。

その後、猿は鷲取山にこもっていたが、
弟の小碓皇子(後の日本武尊やまとたける)が
東の国を平定するために出発した
ことを聞き、
若者になって自らも同行し
功績を上げた。
東国平定の後、その若者は日本武尊に
言った。
「私はみなさまご一家にお世話に
なった猿でございます。
御恩に報いるため
に参りました」と伝え、
その後、鷲取山に帰っていった。

恩のある人物のために自ら海に
飛び込み、
東国平定にも同行した
勇敢な猿は
村人からとても親しまれ、
その尊敬のきもちから、
いつしか鷲取山は
猿投山と呼ばれるようになった。

勇敢で心優しいその猿は、
今でも猿投の温泉につかって
地元の桃や梨を楽しみながら、
地域の人々を
見守ってくれて
いるにちがいない。

※猿投の地名の由来を伝える猿投伝説には諸説あります